ジーニアスはどこにもいて、どこにもいない

知人が運営している、ログミーと言うサイトからの引用です。

「すべての才能は借り物」 ベストセラー作家が生みの苦しみの末にたどりついた、”天才”の正体
合理的人文思想が芸術家たちを殺してきた
この考えは、長らく西洋に浸透していましたが、ルネッサンスが全てを変えました。とてつもない考えが現れた。世界の中心に人間を置こうではないかと。すべての神と神秘の上に。神の言葉を語る生き物は消えた。合理的人文主義の登場です。人々も信じ始めました。創造性は個人の内から表れるものだと。史上初めて、芸術家が「ジーニアス」と呼ばれるようになりました。「ジーニアス」が側にいるのではない。 これは大きな間違いですよ。たったひとりの人間を、男でも女でも、ひとりの人間を、神聖で創造的な謎の本質で、源だ、と信じさせるなんて。繊細な人間の心には、少し重荷では? 太陽を飲め、と言うようなものです。歪んだエゴでしょう。それが作品への過剰な期待を作り、その期待のプレッシャーが、過去500年、芸術家たちを殺してきたのです。もしこれが事実なら、事実だと思いますが、問題は今後です。

今日はクリエイター(創造者)について考えようと思います。

上記の文面にある、<この考え>とありますが、これはその前段で、ジーニアスとは神が振ってくる事をさすとあります。よく、笑いの神がおりて来たというのがあると思いますが、正にそれです。ところが、ルネッサンスでそのジーニアスが人になってしまった。つまり、ジーニアスは人の才能を指す様になりました。本当は神がたまたま隣にいただけかもしれないのに。

現に、20歳を過ぎればただの人と神童は言われる訳で、たまたまその時は良かったという解釈が昔はあったと。ところが、今は才能を持った人をジーニアスと呼んでしまう為に、もし、才能が発揮されなければジーニアス=天才と呼ばれなくなってしまう。

そもそも、天が与えた才能を天才と呼ぶのですが、これこそ神が降臨されて、乗り移った状態だと言う解釈だと言うのでしょうか。

なるほど。

私は思いました。この考えは確かにありませんでした。

つまり、ひらめきとはジーニアスで、ジーニアスとは神が与えた一時的な力だと考えると、現代においての神とはなんなのだろうかと私は思います。

それは、情報です。清濁併せ持ったた情報だと思います。

ジーニアスをより多くの人に届けられる環境が出来れば、クリエイターがより高みに上がっていけるのではないか、もちろん、様々な外部からの影響もあるでしょうが、本質的にクリエイターは一人だと私は思っています。

総合芸術以外の最初のアイディアは一人の内包される”ジーニアス=天才”から生み出されるべきではないか、そう考えています。

ここに一つの答えが眠っていそうです。

※知人のログミーをやっている川原崎さんに感謝。